2017年3月9日、「Finally!!!!!!! After 3yrs of blood, sweat, and tears, I am a registered nurse in Australia!!!
Je suis HEUREUSE!(3年間の死闘の結果、やっとオーストラリア正看護師になりましたー!!!期間の半分が待ち時間。待たせ過ぎやろー!)」と非常に嬉しい報告が飛び込んできました。
2013年5月にアシスタントナース有給インターンシップで留学されていた濱中 麻理様の看護師資格取得のお知らせでした。2013年に留学してからの3年間の軌跡を伺うべく3週間後にフランス人との彼との結婚式を控えたお忙しい時期だったにも関わらず、直撃インタビューしてしまいました。(実は記事を公開した本日が結婚式!!)おめでとうございます!
1、高校生のころからの目標だった留学
2、1年間で帰国するつもりが…
3、交渉に交渉を重ねたAHPRAへの書類申請
4、さまざまな刺激を受けたIRONコース
5、達成したときの感動は言葉では言い表せない
6、これから看護留学に挑戦する皆さんへ
1、高校生のころからの目標だった留学
両親が警察官だったこともあり小さなころから社会的に責任のある仕事、誰かのためになる仕事に興味があり、その中でも看護師になりたいというのはずっと思っていました。「看護師になる」というと両親や親戚など周囲も応援してくれて、看護師になるためにまっすぐ進んできました。
ただ、高校生の時にオーストラリアで1~2週間、カナダで1ヵ月間の留学を経験したんです。
その経験がものすっごく刺激的で……。
具体的に「何に」憧れたというわけではないのですが、地元が三重の田舎なこともあり、オーストラリアやカナダの大きな都会や広くて高い空、コンビニのない街並み、さまざまな国の人々が集う世界、ホストファミリーとの生活、すべてが刺激的でした。「こんな世界があったんだ!」と、感動したことを覚えています。
「看護師になりたい!」という目標はずれなかったものの、看護師という職業と英語や海外というものをどうにか絡めていきたいな…と考えるようになりました。
最初に思いついたのは、「国際協力活動」です。海外とのつながりや国際協力活動への参加のチャンスもありそうだなと思い大学も日本赤十字看護大学に進学しました。
ただ、日本赤十字看護大学に進学したからと言ってたった数年で国際協力活動に参加できるわけではなく…(笑)。
若いうちにいろんなことチャレンジしたい!と思っていたので、仕事で行けないなら、自分で留学しよう!と思い、臨床経験3年目のタイミングで、留学を調べ始めました。
「看護師 留学」と検索した時に見つけたのがワールドアベニューのアシスタントナース有給インターンシップ・プログラムでした。
まずは資料請求と思い、ワールドアベニューに問合せをしたところ、ワールドアベニューのスタッフさんからご連絡をいただきました。いろいろお話するうちに、「ちゃんと具体的なお話を聞いてみたい」と思い、留学カウンセリングを受けることになりました。
熱心に看護留学のご説明をいただき、留学カウンセリングが終わるころには、「やってみよう」と決断。
両親にもまだ伝えてはいなかったのですが、決断(笑)、留学プログラムへお申込み後、両親へ「決めちゃったー」と電話しました(笑)。
両親は、いろいろと心配してくれたものの、高校時代から海外に憧れていた私の姿を見ていたからか、大きな反対はなく、応援してくれました。
英語はもともと嫌いだったわけではないので、「勉強するしかない!」と前向きに考えていました。
ただ、決断した時は、いろんなことが不安でした。
1人っ子だったので、両親と物理的にかなりの距離離れることで、「両親に何かあったらどうしよう」という不安がよぎったり、「海外のシャワーってすごく短いって聞くけど、大丈夫かな」とか、「長期間で生活するに伴ってシェアハウスが主流って聞くけど、文化も習慣も言葉も異なるなか、家や部屋をシェアして暮らすって大丈夫かな?」と、不安でした。
2、1年間で帰国するつもりが…
実はもともと1年間で帰国するつもりでした(笑)。
ただ、1年間終わったときに、もっと勉強してみたいと思ってしまったんです。
英語力も看護の経験ももっともっと積んでみたいと……。
そこで、ワーキングホリデー制度の1年間が終わったのち、学生ビザに切り替え、もう少し英語の勉強をすることにしました。語学学校に通う!学生ビザで留学を延長する!と決断したとき、せっかく延長するなら「明確な目標」がほしいと考えました。それが、看護師資格取得です。
やるならとことんやろう!せっかくだから看護師資格を目指してみよう!そう決めたんです。
オーストラリアで看護師資格を取得するためには、看護学部の学位と英語力(IELTS7.0以上またはOET‘B’以上※)の証明が必要です。私はすでに日本で学位を取得していたので、とにかく英語力を伸ばすことに注力しました。
International English Language Testing System(IELTS:アイエルツ)
イギリス、アメリカ、オーストラリア、カナダ、ニュージーランドのほぼすべての高等教育機関で認められる英語能力判断テスト(英語力の証明)の一つです。高校、大学、海外移住申請時などに用いられる信頼性の高いテストです。
オーストラリアで看護師資格取得するためには、ライティング、リーディング、スピーキング、リスニングの4科目すべてで7.0以上のスコアを取得する必要があります。
The Occupational English Test (OET:オーイーティー)
医療従事者(歯科医、栄養士、獣医師、医師、看護師、作業療法士、薬剤師など)専用の英語能力判断テストで、オーストラリア、ニュージーランドを中心に、医療従事者の英語力を判断する基準として多く用いられています。
オーストラリアで看護師資格取得するためには、ライティング、リーディング、スピーキング、リスニングの4科目すべてでB以上のスコアを取得する必要があります。
私はOETでスコア取得することを目標に、勉強をスタートしました。
OET対策を行う学校としてTAFE(テイフ)と呼ばれるオーストラリアの州立専門学校のSkills for Career Pathways (OET Preparation)の6ヵ月間のコースに入りました。
入学日の兼ね合いや、滞在期間自体を伸ばしたかった思いもあり、直接TAFEのOET対策ではなく、まずは語学学校の進学準備コース(EAPと呼ばれ、アカデミックスキル(高等教育機関にて英語で専門的な勉強をするために必要な英語スキル)を学ぶ英語コース)からスタートし、TAFEのOET対策のコースへ進学しました。
英語コースとTAFEのOET対策を行うこと約1年、3回目の正直でOET’B’を取得しました。
3、交渉に交渉を重ねたAHPRAへの書類申請
OETのスコアを取得した時は、本当に嬉しかったです。
「やってやったーーー!!!」という感じで。
でも、本当の闘いはここからでした(笑)
オーストラリアのAHPRA*への書類申請です。
先述している通り、オーストラリアで看護師資格を取得するためには、オーストラリアでも認められる看護学位と規定の英語力の証明が必要です。既定の英語力は取得したOETの公式スコアを提出するのみですが、日本で取得した学位や臨床経験などの証明はそう簡単にいきません。
看護師を含むオーストラリアの医療従事者登録・審査機関です。看護師・助産師の登録を管轄するのはNMBA(The Nursing and Midwifery Board of Australia)と呼ばれる部署です。
なお、最終的に正看護師資格を取得するためには、AHPRA/NMBAで看護師資格の登録を行ったのちに、ANMAC(Australian Nursing and Midwifery Accreditation Council:移民局指定スキルの判定機関)の「技術査定(Skill Assessment)」を受け、正看護師として認定を受けるという流れになります。
OET‘B’取得後のオーストラリアでの正看護師資格取得までの流れ
OET‘B’取得
↓
AHPRAにて書類審査
日本で取得している学位の内容を細かく精査される。
ただ、日本とオーストラリアの教育システムは異なるため、一度申請は「却下」される。
この際、通知される結果に「ブリッジプログラムを受講せよ」と指示がある。
↓
EPIQ又はIRONコースと呼ばれる看護師登録ブリッジングコースを受講
↓
EPIQ又はIRONコース修了
↓
AHPRAにて再度審査
↓
AHPRAにて正看護師資格登録完了
↓
ANMACへ技術査定(Skill Assessment)申請
↓
正看護師として働けるように!!!
最初のステップとなる「AHPRAにて書類審査」には、日本の大学の卒業証明、成績証明、単位証明、英文履歴書、英文職務経歴書、大学のシラバス(英訳)など、さまざまな書類が必要になってきます。もともと看護師資格取得を目標として留学したわけではなかったので、OETのスコアを取得してから日本の大学に問合せ、書類を作っていくというプロセスが発生しました。ワールドアベニューのスタッフさんにもいろいろと手伝っていただきながら、かたくなな日本の大学スタッフに根気強くお願いしつつ、かかること1ヵ月半、ようやくAHPRAへ申請する書類を作り上げました。
そしてここからようやくAHPRAへ書類申請、審査が始まりました。
先述した通り、
「日本で取得している学位の内容を細かく精査される。
ただ、日本とオーストラリアの教育システムは異なるため、一度申請は『却下』される。
この際、通知される結果に『ブリッジプログラムを受講せよ』と指示がある。」
という前提があり、EPIQ又はIRONコースと呼ばれる看護師登録ブリッジングコースを受講するためには、AHPRAからの「ブリッジプログラムを受講せよ」という指示が必要です。
が、しかし……
この「結果」が出てこない……
結果を待つこと1ヵ月、2ヶ月、3ヶ月……
AHPRAが住んでいた家から徒歩2分のところにあったため、待ちきれずに自ら交渉に出かけました(笑)。
というのも、AHPRAの書類審査中、追加提出書類を幾つか求められたのですが、求められた書類は日本の大学と交渉しても出してもらえず、出ない書類を出せと言われても無理なものは無理なわけで……。
お願いだから、「申請を却下し、『ブリッジプログラムを受講せよ』と言ってくれ!!!」と、そのお願いをしに行ったわけです(笑)。
執拗に交渉すること3回目、ついに、担当のインド人のおばちゃんから「わかったわよ!!!」と回答があり無事、ブリッジプログラムを受講するよう指示をいただきました。
交渉の国、オーストラリア。
自ら動くって、本当に大切です(笑)。
ようやく、ブリッジプログラムを受けられる!となり、ワールドアベニューのスタッフさんが、さっそくブリッジプログラム(IRONコース)への入学手続きを進めてくれました。
ただ、このタイミングで、友人の結婚式のため、日本に一時帰国することに……。
ということで本当は2016年7月頃にIRONコースを始められたのですが、結果、10月に開始することになりました。
約3ヵ月間のIRONコースを12月23日に修了。ようやくAHPRAに再申請し、AHPRAにて正看護師資格登録完了、最後にANMACへ技術査定(Skill Assessment)申請し、正式にオーストラリアで正看護師として認められました。
4、さまざまな刺激を受けたIRONコース
IRONコースは、先述した通り、AHPRAに看護師登録手続きのため、さまざまな書類を提出した後に、「あなたの申請は却下されましたー」という連絡と共に、「ブリッジングコースに通ってください」と言われ、初めて受講することができるコースです。
IRONコースは、約10-12週間のコースで50%クラス内授業、50%実習となっています。
一クラス20から30人くらいで、私と同じ境遇のさまざまな国の看護師志望者から構成されます。私がいたクラスには、ネパール人、インド人、フィリピン人、あともう一人私のソウルメイトで日本人の女の子(同じくワールドアベニュー経由)なんかがいました。
臨床経験は自国の大学を卒業してすぐ、オーストラリアに来て看護師を目指しているという方から、もう数年臨床を積んできているという方まで、人それぞれでした。驚かされたのは、他国の学生さんたちの知識の豊富さです。英語での薬の名前や病気の名前について本当に色んなことをよく知っていて、私は医療用の電子辞書を片手に、授業中も必死でしたが、他国の学生さんたちは、どんどん進んでいく姿に時に圧倒されてしまうこともありました。ただ、実習が始まると、やはり臨床経験があり、技術を細かく叩き込まれている日本人の看護師は強い!(笑)
日本人の看護師にとっては初歩的なことでも、「え?!すごい!なんでこんなことできるの?」なんて驚かれたりすることも多々ありました。
先生はオーストラリアで正看護師として実際に病院で勤務している方々なのでタイムリーな情報も教えてくれてとても勉強になりました。面白かったというか、オーストラリアらしいな……と感じたことは、先生によっていうことが本当に異なるということです(笑)。
例えば、私が教わった先生は、アフリカ出身の方、ニュージーランド出身の方、フィリピン出身の方、インド出身の方とさまざまでした。アフリカ出身の先生はとってもゆるく、ニュージーランド出身の先生はとにかく細かい……。日本だったら「何が正しいの」「結局私はどうしたらいいの」となってしまいそうですが、先生たちは「これは私のやり方だから、一定のルールの中で、あなたらしいやり方を見つけなさい」というんです。日本には絶対にない感覚なので、驚きもありつつ、新鮮さもありました。
IRONコースに通っていたとき、勉強は本当に大変でした。
でも、その大変さが、ある意味、ちょうどよかったというのもあります。
実は、日本に一時帰国した際に、久しぶりに再会した日本の看護師の友人たちの姿を見て、いろんな焦りや不安を抱えました。日本に一時帰国したタイミングが、AHPRAとのやり取りを行っていた時期でIRONコースの前、もっとも何もやれることがなかった時期だったということもありますが、日本で着実にキャリアを積み重ねている友人たちに再会した際、「私はどこへ向かっているんだろう」「何を目的に今をすごしているんだろう」と、無性に焦ったことを覚えています。だからこそ、目標に向かって懸命に勉強する他国の子たちと切磋琢磨する日々や、目の前の勉強に必死にならざるを得なかった環境を与えてくれたIRONコースは、大変だったけど、自分の目標と成長を支えてくれるよい機会だったと感じています。
5、達成したときの感動は言葉では言い表せない
IRONコースを終え、最終的に、看護師資格を取得することができました。
看護師資格を取得した瞬間は、本当に、ほんとうに、言葉では言い表せない感動がありました。
ここに至るまでの3年間、本当にさまざまなことに感動し、悩み、喜び、焦り、ワクワクし、イラつき……、ものすごい濃密な感情の渦の中過ごしたように思います。
オーストラリアに来たばかりのとき、当たり前ですが、言葉が通じず、もどかしい日々を過ごしたり、思い描いていたことばかりではない日々に不安になったり……。
アシスタントナース有給インターンが修了したとき、学生ビザで滞在を延長するのかどうか、どこで何を目指すのか迷ったり、悩んだり……。
OET初受験の際には、スピーキングの試験に落ち、その次の試験も、初回の失敗からくる不安を払拭しきれずパニックになり失敗し、このままこれが続いたらどうしようとなんとも言えない気持ちでふさぎこみそうになったり……。
その都度、少し立ち止まり、自分自身が歩んできた道を振り返り、積み重ねてきた努力を見直し、自分を信じて一つひとつ階段を上ってきました。そうして、最終的にオーストラリアの看護師資格を取得した今、本当に大きな達成感を感じています。
6、これから看護留学に挑戦する皆さんへ
オーストラリアでの看護師資格取得に向けて歩んできたこの3年間、私は本当に人として大きな成長を遂げたと感じています。思い通りにならないことだらけで、日本の友人たちを含め、多くの方と異なる道を歩むことに不安になり、疑問を抱き焦ったこともたくさんありました。諦めそうになったり、辞めてしまおうかと思ったりしたこともたくさんありました。でも、諦めなったから、今があります。あのとき、諦めてしまっていたら、「今」のこの感動はありませんでした。
私もそれぞれの分岐点で、たくさん悩んでなやんで一つひとつ答えを出しました。
悩むとき、本当にさまざまな誘惑や焦りが自分の決断を鈍らせます。
でも、悩んだ時こそシンプルに「自分がどうなりたいのか」を考え、答え見つけてきたように思います。
諦めそうになった時は、歩んできた道を振り返り、上ってきた階段の数を数え直し、「ここまでやってきたんだから!」と自分自身を鼓舞し前進してきました。
最近、ワールドアベニューさんのアテンドで、オーストラリアの某病院を視察に行きました。
そのとき、ふと、「私はオーストラリアの正看護師なんだよ」と言ってみました。
周囲からは、「おめでとう」と言ってもらうことができました。
その時に感じた爽快感、達成感は、ここまでやり遂げた人にしか感じることのできない気持ちだと思います。
今、看護師資格取得に向けて頑張る皆さん、ぜひ頑張りぬいてみてください。
ここは気持ちいいですよ!!!
体験者:濱中 麻理様
渡航期間:2013年05月24日から現在
留学プログラム:
2013年5月から2014年5月:アシスタントナース有給インターンシップ 1年間
2014年5月から2015年5月:語学学校→TAFE(OET対策)
2015年11月:OET合格
2015年12月から2016年1月:AHPRAへの申請に必要な書類作成
2016年1月から2016年6月:AHPRAへの申請・審査期間
2016年7月・8月:日本へ一時帰国
2016年10月から2016年12月:IRONコース
2016年10月から2017年3月:AHPRAへの再申請・審査→看護師資格取得
より詳しい留学情報については、気軽に留学カウンセリングをご利用ください。
留学カウンセリングは、無料です。初回はオンライン(Zoom)にて所要時間30分程度からご利用いただけます。定休日の木曜をのぞき、土日祝日も営業いたしておりますので、お気軽にご活用ください。