オーストラリア政府観光局とワールドアベニューとが共同で開催したオーストラリア・ワーキングホリデーモニターキャンペーンの合格者の一人、Yumiさんが1年間の海外生活を経て、帰国されました。
※Yumiさんが応募し、合格したモニターキャンペーンについてはこちらをご参照ください。
2022年6月、オーストラリアのブリスベンに渡航。語学学校BROWNS English Language Schoolで4ヶ月間の語学研修を経て、セカンドワーキングホリデービザ申請要件を満たすためケアンズに移動されました。そこでカフェやアイスクリーム屋での仕事に挑戦されたそうです。日本でもバリスタとして働いていたYumiさんは、「カフェ大国のオーストラリアでもバリスタとして働いてみたい!」と考えており、その思いを早いタイミングで実現されました。
Yumiさんには1年間のワーキングホリデー生活の様子を自身のインスタグラムや、当社にて開催した説明会などで発信いただきました。過去お話しいただいた様子は当社のインスタのアーカイブにございますので、ご興味をお持ちの方はチェックしてください。
↓Yumiさんとのインスタライブ(2022年12月実施)
https://www.instagram.com/reel/CqFsi3pAy0p/
この体験談では、辛かったことや苦しかったことも含め、これまでには触れきれなかった部分、「ワーホリを介しての成長」や「出会い」「今後の目標」などをご紹介したいと思います。
Yumiさんの留学概要
渡航国:オーストラリア
渡航都市:ブリスベン → ケアンズ
留学プログラム:ワーキングホリデー
語学学校:BROWNS English Language School 4ヶ月間
渡航期間:2022年6月 – 2023年6月
Yumiさんのワーホリスケジュール
時期 | 内容 |
2022年3月 | オーストラリア政府観光局&ワールドアベニュー主催「ワーキングホリデーモニターキャンペーン」に応募 ↓ モニターに合格! |
2022年3月〜6月 | ワールドアベニューに申込・ワーホリ準備開始 – ワーキングホリデービザ申請 – 学費や滞在費などの支払い – 航空券購入手続き – 海外旅行保険加入手続き – 渡航に向けてお金や荷物の準備 |
2022年6月〜10月 | 語学学校(BROWNS English Language School)にて4ヶ月間就学 渡航3ヶ月目 カフェにてバリスタの仕事に就く |
2022年11月〜23年6月 | ケアンズに移動 カフェでバリスタとして働く アイスクリーム屋で接客の仕事に就く |
帰国直後、今感じていることは?
今までの人生で、ここまで自分の「成長」を感じた時間はありませんでした。もちろんワーキングホリデーにいく前も、勉強や仕事、貯金など、いろんなことを頑張ってきました。ただこの1年ほど、挑戦と挫折、そして出会いに溢れていた日々はなかったように思います。
オーストラリアでは楽しいこと、嬉しいこと、辛いこと、悔しいこと.. 本当にたくさんの経験に溢れていました。過ぎてしまうとあっという間で.. 日本のご飯や湯船、家族や友達への恋しさはあるものの「まだオーストラリアにいたい!!」という思いが強いです。
実は2023年7月19日にオーストラリアにすでにオーストラリアに戻ってきました。日本に帰国するタイミングで職場はやめなければいけないと思っていたのですが、嬉しいことにカフェもアイスクリーム屋さんも「戻ってきていいよ」と言ってくれたんです。だからシェアハウスもそのままにしてきましたし、オーストラリアに戻る航空券もすぐに購入しました(笑)
一歩を踏み出せた”キャンペーン”の存在
留学やワーキングホリデーには大学時代からずっと興味がありました。ただ、周囲の反対や心配の声も大きく、なかなか踏み出すことができずにいました。
「大学在学中には留学したい..」と思っていたものの、学生の身分ではなかなか自分だけの判断で動くことはできず断念。。一番最初に踏み出したのはフィリピンでの短期留学でした。社会人になり、自分でお金を貯め自分で契約手続きをしました。心配性の両親には事後報告です。めちゃくちゃ怒られました(苦笑)。しかし、自信はつきました。
「自分もやればできるんだ!」
「次はワーキングホリデーに挑戦したい」
そんなふうに思っていた矢先、コロナが世界を襲いました。当たり前のように行き来できていた海外には全く行くことができなくなり、あらためて「やりたいと思ったことはやらないと後悔する」と感じました。
そこからは、いつか海外に飛び出すために、英語や貯金の準備を少しずつし始めました。コロナが落ち着きを見せてきて、貯金も少しずつ目標額に達してきたころ、ちょうどワールドアベニューとオーストラリア政府観光局がタッグを組んで提供していた”キャッシュバックキャンペーン”の記事を見つけました。
「これだ!!!」と思いました。
自分が本気で海外に挑戦したいと考えているということを、証明する絶好の機会だと思いました。「思いだけは誰にも負けない!!」そう思い、キャンペーンのエントリーシートに思いの丈を綴り、ワールドアベニューにもできる限り自分の思いを知ってもらいたいと思い、追加でメールも送りました。
親には「あなたみたいな凡人じゃ無理よー」と言われましたが、結果は「合格」でした。
結果を伝えると納得してくれたのか、最後には暖かく「いってらっしゃい」と応援してくれました。
”凡人”な私でも.. いや、私だからこそ、伝えられることがある
1年間のワーホリ生活中、複数の異なる方面から取材やインタビューを受け、ワーホリ関連のさまざまなイベントで体験者として登壇しました。
ワールドアベニューはもちろん、オーストラリア政府観光局主催のインスタライブやサナギ 新宿で開催されたワーキングホリデー&ユーストラベラーズ向けのイベントと、クイーンズランド州政府観光局が配信するポッドキャスト、NHKクローズアップ現代やWBS(ワールドビジネスサテライト)への取材協力など、挙げればきりがありません。
ワーホリを検討している方達からDMをいただく機会も増えました。彼ら彼女らに役立つ情報の提供や一歩踏みだす勇気を与えられているように感じた瞬間は、とても嬉しかったことを覚えています。この体験談でも、今ワーホリを考えている方達が世界に一歩踏みだす上で、参考になる情報や体験をお届けできたら嬉しいです。
最高に楽しかった学校生活
私のワーキングホリデー生活は、自分の英語力の低さにショックを受けるところから始まりました(笑)語学学校でのレベルチェックテスト結果が「ビギナー(初級)」だったんです。
フィリピンに短期留学したこともありましたし、英会話を習っていた時期もありました。独学で勉強もコツコツ頑張ってきたつもりです。にも関わらず、結果は「初級」。正直、かなりショックでしたし、本当に悔しかったです(苦笑)しかし、この悔しい気持ちがあったが故に、語学学校での時間は非常に有意義なものになりました。学校で勉強できる時間は4ヶ月しかありません。「とにかくできる限り頑張ろう!!!」と心に決め、授業はもちろん、放課後や週末でも学校での出会いを最大限活用し、積極的に英語を学ぶよう心がけました。
”NO”と言わない!できる限り挑戦しよう
友達からの誘いには、できる限り”YES”で答えようと決めていました。英語を話す機会をできる限り大切にしたいと考えていたからです。
休憩時間、「ご飯買いに行こう〜、コーヒー買いに行こう〜」
放課後、「一緒にカフェに行こう」
週末、「山登りしよう」「ホームパーティするからおいでよ」
英語を話せない私にとって、毎回毎回が挑戦でした。どんなに楽しい時間を過ごしても、「英語を話せたらきっともっと楽しいのに」と悔しさを噛み締めました。そして、次の日の学校の授業に一生懸命取り組みます。繰り返すなかで、私の英語力はグンっと伸びたように思います。
日本人同士だからこそいい刺激をもらった
ブラウンズはイングリッシュオンリーポリシー(母国語禁止ルール)を徹底している学校です。そういったルールがあるからこそレベル如何に関わらず、英語環境にどっぷりとつかることができました。
とはいえ、英語力初級の私が英語で他人に話しかけていくのは限界があります。そんなとき、比較的積極的に話しかけてくれる子がいました。同じクラスの女の子で、ロープレやディスカッションなどペアで取り組まないといけない課題のときは、彼女に何度も助けてもらいました。
私は彼女を「韓国人かなー」と思っていたのですが、ある日、ちょっとしたトラブルが起きた際、「ごめん、ここからは日本語でいい?」と彼女は日本語を話始めました(笑)
「えっ!?日本人だったの?」
心の底から驚いたのを今でも覚えています。私は到着したばかりのころ、「日本人とは関わらないようにしよう!」と思っていました。日本人に甘えてしまって、英語力が伸びないことを危惧したためです。しかし彼女のおかげで、同じ志をもつ人なら国籍は関係ないんだなと考えるようになりました。
苦しいこともたくさんありましたが、学校での出会いは今でも宝物だと思っていますし、英語力の基礎を作る時間があったからこそ、ワーホリがより充実したものになったと感じています。
Yumiさんのワーホリ生活 – in ブリスベン
有言実行!カフェでの仕事をGET
私は日本でバリスタとして働いていました。「オーストラリアでもバリスタとして働いてみたい」と思ったのも、ワーキングホリデーしたいと考えた大きな理由の一つです。今はとても素敵なオーナーや同僚とともに大好きなカフェで働けています。しかし、ここに至るまでの道のりは決して平坦なものではありませんでした。
念願のバリスタとして仕事を開始するも…
英語力にも少しずつ自信がもてるようになってきた語学学校2ヶ月目の終わりころ、バリスタの仕事を探し始めました。幸いにも仕事は比較的すぐに見つかりました。ただ、一番最初に働いたカフェはあまりいい就労環境とは言えませんでした。
何度お願いしても、給与明細を出してくれなかったのです。
働いている時間数が異なる週でも給与が一緒で、しかも現金払い(一般的には銀行振込です).. さらにはオーナーのボディタッチの頻度もやや高い.. 周囲のスタッフからも「気をつけたほうがいい」と言われ、時間がたつに連れて不安を感じるようになりました。
学校が終わりホームステイの退去時期が近づくなか、いい機会なので仕事をやめて、セカンドワーキングホリデー申請要件を満たすため、ケアンズ※に行こうと考えるようになりました。
※オーストラリアのワーキングホリデーは「一定期間所定労働に従事する」など諸条件を満たせば、2回目(セカンドワーキングホリデービザ)・3回目(サードワーキングホリデービザ)のチャンスを得られます。2022年2月現在、コロナ禍における入国制限の影響をうけ、深刻な人手不足に陥っている特定の地域・職種(オーストラリア北部または遠隔地、超遠隔地における観光業および接客業など)での労働でもセカンド/サードワーキングホリデービザ申請が可能です。Yumiさんはセカンドワーキングホリデービザの申請要件を満たすべく、ケアンズのカフェでバリスタとして88日間以上働かれていました。なお、ビザに関する条件は予告なく変更される可能性がございます。最新情報はオーストラリア移民局のサイトをご参照ください。
カフェにはすぐさま退職希望を伝えました。最初はなんだかんだと理由をつけ辞めさせてもらえませんでしたが、ホストマザーにも協力してもらい、なんとか退職することができました。
ケアンズへ移動、一筋縄では行かなかったものの..
ケアンズ移動後、なんと3日目にしてカフェでの仕事をGETしました!しかし、話はそんなに上手くいきません(苦笑)。ケアンズはブリスベンのような都会と異なり、いわゆる観光地のため、観光客がこないことには仕事がありません。そのため、ブリスベンで働いていたときのように、フルタイムでシフトに入ることができませんでした。
加えて、「Yumiの英語力では接客の仕事は任せられない」と言われてしまいました。生活のためにも、英語力向上のためにも、ウェイターの仕事にも挑戦しシフトを増やしたいと考えていた私は、メニューを持って帰り覚えたり、同僚の接客を録音しオーダーの取り方を練習したりと、ウェイターとして働かせてもらうため努力しました。
そのかいあって、マネージャーは「やってごらん」といってくれるようになりました。私の練習に付き合ってくれて「あとは○○さえできたら、ホールに出れるね!」と、ウェイターとして働き出す準備が順調に進んでいきました。しかし… その様子をみていたボスが、マネージャーを呼びつけました。そして、なぜYumiにやらせたのか?Yumiの英語力では無理だと、ボスはマネージャーを責めました。
やれることは精一杯努力して取り組んだつもりでした。認めてくれる人もいたからこそ、このボスの一言は悔しさを強めました。
悔しさがバネに! 再度履歴書を配り始めた
「Yumiの英語は”poor”だ」
履歴書配りに挫折しそうになったときは、この言葉を反芻し「何くそ!」と頑張りました。語学学校での英語の勉強もそうでしたが「悔しさ」は成長の原動力です。
最初は上手くいかなかった履歴書配りも、少しずつ手応えを感じることが増えていきました。そんななか出会ったのがアイスクリーム屋さんです。面接では「Yumiの英語力は全く問題ないよ!」と即採用してくれました。
その後、バリスタとしての仕事探しも継続し、今のカフェと出会いました。セカンドワーキングホリデービザ申請要件である88日間の就労期間は、ずっと前に終わりましたが、その後も継続して働いています。何度も妥協しそうになったり、挫けそうになったりしました。でも諦めず、努力し続けてきてよかったと心から感じています。
ハプニングも盛りだくさんだった
「オーストラリアでの2年目をどう過ごそうか.. 」
ワーホリ後半、こんなふうに考えることが増えていきました。もともと、カフェの街メルボルンでバリスタとして働いてみたいと考えていたからです。ただ、ケアンズでの生活もとても楽しく、今の職場も大好きで、今後の時間の使い方に悩んでいたんです。そんななか「悩んでいるなら一度行ってみて、その街の雰囲気を体感してきたらいい!それからの判断でも遅くない」とワールドアベニューからアドバイスをもらい、メルボルンに小旅行してみることにしました。
Yumiさんのワーホリ生活 in ケアンズ
最高だった3泊4日のメルボルン旅行だが..
メルボルンでは、かねてより行ってみたかった人気カフェをはしごし、有名な観光地や遊園地を訪れました。メルボルンはケアンズとは同じ国だと思えないほど都会的で、全てがおしゃれで.. 街を歩いているだけでテンションが上がります。
ケアンズで出会った友達にそのの子の友達を紹介してもらい、メルボルンでの生活について色々とお話を聞くこともできました。驚いたのは物価の高さ、そしてバリスタのような人気職になると意外と給与が低いという事実でした。
私にはケアンズの方があっているかも..?と旅行を楽しみつつも、自分の今後の”居場所”を再確認しつつ迎えた旅の最終日、お土産を買おうとしていたその時です.. 航空会社からフライトキャンセルの連絡が入りました。
人生初のフライトキャンセルは衝撃的でした(苦笑)が、慌てている場合じゃないので、プチパニックになりながらも、当日のフライトを検索しました。すると1時間後に空席のあるフライトがあるではありませんか!!「まだ間に合う!」とすぐさまUberに飛び乗り、同時並行して、そのフライトの購入を試みます。
しかし.. 予約完了まで進んだと思った先のページに表示されたのは「売り切れ」の文字でした。これ以上どうしたらいいのかわからなくなってしまった私は、パニックで泣き出してしまったんです。
驚いたのはUberの運転手です(それはそうですよね、いきなりお客さんが大号泣し始めたわけですから.. 苦笑)。運転手は私から事情を聞き、「よし!じゃ、マックに行こう」となぜか行き先を空港から最寄りのマックに変更(笑)。一緒にチキンナゲットを食べながら、フライトを探してくれました。泣いて怒ってばかりだった私と運転手の彼の姿は、側からみたら痴話喧嘩をしているカップルのようで、よく最後まで付き合ってくれたなと思います。
その後、なんとか航空券を手配することができました。その際も同じ運転手の方が「お前はもう友達だから!!」と送り出してくれました。彼は今度ケアンズに遊びに来るそうです(笑)
オーストラリアに来る前の私だったら、当日のフライトキャンセルへの対応はもちろんですが、Uberの運転手に泣き喚きながら事情を話つつ愚痴をこぼし、あげくの果てに友達になってしまうなんて芸当は到底できなかったと思います。「たくましくなったなー」と自分でも笑ってしまう出来事でした。
今後の挑戦
まずは大好きなオーストラリアに戻ります。カフェでの仕事ももっともっと経験したいですし、英語もまだまだ成長の余地があると思っています。
その後のことはまだ明確に決めていませんが、オーストラリアを堪能したのちにはワーキングホリデー制度を利用して、他の国、例えばカナダに行ってみるのも面白そうだなと考えています。オーストラリアでもカナダでも、さまざまな出会いとハプニングに遭遇できるのが楽しみです。
さいごに
体験談を最後まで読んでいただき、ありがとうございました。Yumiさんの体験談はいかがでしたでしょうか。
インスタライブやワーキングホリデー説明会では順風満帆に見えていたYumiさんのワーホリ生活でしたが、実はたくさんのハプニングや挫折との戦いだったようですね。ただ、そんなハプニング当時の話をしてくださるYumiさんはとても明るく楽しそうで、それらを乗り越えた今となっては、全てがYumiさんの成長に繋がっているように思います。
これからのオーストラリア生活も存分に楽しんでほしいですね!
Yumiさんは自身の海外生活をインスタで発信されています。ハイライトにはこれからワーホリでオーストラリアに来られる方にとって有益な情報もまとめてくださっているので、ぜひチェックしてみてくださいね。
↓インスタグラム
https://www.instagram.com/s__pono7/
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