オーストラリアのケアンズにワーキングホリデービザで滞在するKiyofumiさんから体験談をいただきました。現在は現地のカフェでバリスタとして働くことでスキルを伸ばしつつ、海外生活をのんびりと楽しんでいるといいます。今回の体験談では、社会人だったKiyofumiさんが退職してワーホリしようと考えたきっかけや、現地のカフェでの仕事に就くまでの流れなどをお話いただきました。オーストラリアのカフェで働いてみたいと考えている方、必見です。
Kiyofumiさんの留学概要
渡航国:オーストラリア
渡航都市:シドニー → ケアンズ
留学プログラム:ワーキングホリデー
語学学校:ILSC
渡航期間:2022年3月 – 現在 ※滞在延長予定
ワーキングホリデーのスケジュール
2022年3月 | オーストラリア・シドニーへ出発 |
2022年3月-7月 | 語学研修@ILSC (4ヶ月間) ※滞在はホームステイ → 2ヶ月目からシェアハウスへ移動 |
2023年7月-現在 | シドニーからケアンズに移動 カフェでバリスタとして就労 |
※オーストラリアのワーキングホリデーは「一定期間所定労働に従事する」など諸条件を満たせば、2回目(セカンドワーキングホリデービザ)・3回目(サードワーキングホリデービザ)のチャンスを得られます。
2022年2月現在、コロナ禍における入国制限の影響をうけ、深刻な人手不足に陥っている特定の地域・職種(オーストラリア北部または遠隔地、超遠隔地における観光業および接客業など)での労働でもセカンド/サードワーキングホリデービザ申請が可能です。Kiyofumiさんはセカンドワーキングホリデービザの申請要件を満たすべく、ケアンズのカフェでバリスタとして88日間以上働かれていました。
なお、ビザに関する条件は予告なく変更される可能性がございます。最新情報はオーストラリア移民局のサイトをご参照ください。
ワーホリのきっかけと目的
これ!という、ものすごく明確なきっかけがあったわけではありません。ただ、子供の頃からなんとなく「海外」や「英語」への漠然とした憧れや関心がありました。
もともとサッカー大好き少年で、子供の頃は「ガチでプロサッカー選手になりたい!」と考えていました。ただ現実は厳しく、中学生の頃、早くも「プロは無理だ」と悟りました(苦笑) そこからはプレイヤーとしてではなく、「通訳などサポートスタッフとしてスポーツに携われたらいいなぁ」と考えるようになりました。思えば、これが最初の憧れだったと思います。同時期にオーストラリアに短期留学したことも大きな影響といえるかもしれません。
次に海外や英語を意識したのは、社会人1年目のときです。私は飲食業関連の専門学校を卒業し、みなとみらいに店舗(飲食店)を構える会社に就職しました。オリンピック開催を間近に控え、訪日外国人旅行者数が年々右肩上がりに増加している時期で、私の職場にも多くの外国人のお客様が訪れました。接客対応をしていた当時の私は、英語になった瞬間に納得のいくサービスを提供できない自分に苛立ちを感じました。
最後に「海外に行ってみよう」と本格的に思ったのは、家族旅行をしていたときでした。実家から東京を訪れていた家族を連れて東京観光をしていたとき、ワールドアベニューの広告を見つけたんです。家族は「そういえば、ずっと海外行ってみたいって言ってたよね。相談するだけしてみたら?」と後押ししてくれました。
その後、割と早いタイミングでワールドアベニューに問い合わせました。担当カウンセラーの方と相談し、ワーキングホリデー制度を利用してオーストラリアに行くことを決めました。専門学校卒業後、働いてみたいと思っていた会社2社両方で、ある程度納得のいく経験をつめたタイミングだったというのも大きかったかもしれません。
社会人になって1度転職しているのですが、2社目の会社は都内を中心に全国店舗展開する食のセレクトショップでした。海外商材を多く取り扱っていた会社だったため、2社目でも「海外」「英語」などのキーワードは身近な存在でした。
2社目はカフェ運営も行っており、私はカフェ&バリスタ部門で働くことになりました。経験を積むごとに「海外でもバリスタとして働いてみたい」と改めて感じるようになりました。
オーストラリアでのワーキングホリデーを選んだ理由
まずワーキングホリデー制度を選んだ理由は「バリスタとして働きながら生活してみたかった」ことが大きいです。英語力の習得は海外でバリスタとして働くための手段の一つであって、目的ではありませんでした。なので、語学留学ではなく、ワーキングホリデーを選びました。
次にオーストラリアにした理由は、大きく二つあります。一つはオーストラリアはカフェ文化が盛んだったこと、もう一つは他国と比較し、より生活が楽しそうだな..と感じたことです。
オーストラリアの特にメルボルンやシドニーは知る人ぞ知るカフェ激戦区です。
オーストラリアには第二次世界大戦後、ヨーロッパの人々が移民しました。なかでもイタリアの移民が多く、濃いエスプレッソのコーヒーを飲む文化が流行ったそうです。現在、メルボルンでは約2万店舗の個人経営のカフェがあり、そこで暮らす人々は皆、お気に入りのカフェがあるなんて言われています。コーヒーのラインナップも豊富で、「フラットホワイト」「ロングブラック」「ピッコロ」など、日本では聞いたことのないようなメニューもあります。オーストラリアであれば、バリスタとして多彩な経験をつめると考えました。
また、オーストラリアは気候がよく自然も豊かで、スポーツや芸術、音楽などのイベントも多く、シンプルに楽しそうだなと感じました。長期に渡って生活する場所になるので、住み心地の良さは大切だと考え、オーストラリアにしました。
決断してからは早かったですね。留学準備のために、ゆくゆくは仕事を退職して実家に戻ろう..と思っていたところ、地元で興味のある求人が出ていました。連絡してみると「すぐ働き出してくれるなら雇えるよ」と言われたため、勤めていた会社を2日で退職し、実家に引っ越しました。
突然のパンデミック – 決断してからの2年間
…と、ここまでは順調だったのですが、残念なことにこのタイミングで世界はコロナに襲われます。オーストラリアをはじめ世界各国が入国制限を設け、ワーホリは愚か、海外旅行すらできなくなりました。
それから2年間… 当然ですがワーキングホリデーへのモチベーションはガタガタで、先行きの見えない不安から日本でのキャリアを改めて模索することもありました。ただ、仕事も辞めてしまっていましたし、周囲にも海外に行くことは公言していました(笑) 結果、なんだかんだ諦めることなく、オーストラリア入国制限解除の時期を迎えることができました。
語学学校 ILSCで英語を学んだ思い出
実は、ワーホリを決めた当初、渡航先として選んだのはシドニーではなく、メルボルンでした。理由は先述している通り、カフェ激戦区だったからです。ただ、私が渡航するタイミングはまだ、メルボルン渡航後の自主隔離など規制が厳しいタイミングでした。そこで急遽、シドニーへの渡航に切り替え、語学学校もSACEという学校からILSCという学校に変更しました。
SACEにしてもILSCにしても語学学校を選んだときの条件は、「英語を話さざるを得ない学習環境」があることでした。
英語には自信がありませんでした。なので、日本語に甘えられる環境があると甘えてしまうだろうなー…という懸念がありました。「日本人学生が少ない」「いろんな国の学生がいる」「イングリッシュポリシーが徹底されている」など、日本語に逃げてしまわない環境があるかが結構重要でした。
結果、ILSCを選んでよかったと感じています。
特に私が渡航したタイミングは入国制限が解除されて比較的すぐだったこともあり、日本人留学生はほとんど在籍していませんでした。オーストラリアでは段階的に各国からの入国制限を緩和していたため、国籍比率にはやや偏りがありました。それでもタイ、韓国、コロンビア、ブラジル、トルコなどいろんな国の学生と友達になることができました。
ILSCでの授業で印象に残っていること
授業はもちろん、テストですら「楽しかった」という点がとても印象的です。
先生によって多少の違いはありますが、ILSCの授業は原則、日本での英語の授業とは全く異なり会話ベースで進んでいきました。授業やテストのトピックにはさまざまなものがありました。スポーツだったり、恋愛だったり、政治だったり、環境問題だったり.. 本当にさまざまです。これらのトピックについて、生徒同士で意見を言い合うディスカッションやグループワークをベースに授業が展開されていくんです。当然、日本人同士ではないため、自分の想像をはるかに飛び越えるような意見が飛び交います。
例えば、「犯罪」に関するディスカッションをしていたときのことです。「自分の家族が犯罪を犯したと知ったとき、その家族を警察に突き出すのか?それとも警察や周囲から守るのか?」というお題が挙がりました。私には自首させるという選択肢以外、思いつかなかったのですが、なかには「例え銃で脅されても家族を守る」という生徒がいました。善悪の定義や家族への思い、警察や政治に対する信頼度など、あまりの「違い」に衝撃を受けたことが印象に残っています。
英語という共通言語でコミュニケーションを取れるようになることで、視野の広がりを感じた瞬間でしたし、とても興味深いものを感じました。
私は4ヶ月間、みっちり学校に通ったのですが、本当にあっという間に時間が過ぎていきました。
オーストラリアでの生活や仕事の様子
オーストラリアに到着してすぐ1ヶ月はホームステイをしていました。2ヶ月目からはシェアハウスに移動しました。
※オーストラリアでの滞在方法については詳しくはこちらをご参照ください。
シェアハウスはシティから歩いて20分くらいのところにあり、1人部屋(キッチンやリビングは共有)で、週295ドルでした(電気代含まず、Wifi代やその他光熱費は込み)。コロナ禍でシェアハウス先が減っていることもあり、探すのには少し苦労しましたが、なんとか見つけることができました。オーナーの方がしっかりしていた方で、きちんと契約書を作ってくれたこと、最初は6ヶ月滞在が条件だったのですが、頑張って交渉して3ヶ月滞在にしてもらえたことはよかったなと思います。
ザ・海外生活を堪能したシェアハウス
シェアメイトは、オーストラリア人2人と、イタリア人、スペイン人でした。シェアメイトとあまり会話はない…という人もいるようですが、私のところはとても仲がよく、金曜の夜などはみんなで飲んだり遊んだり、思い出に溢れています。うち一人のオーストラリア人の子は、将来起業したいと考えている、いわゆる意識高い感じの学生で、英語が苦手な私にもとても前向きに接してくれました。
彼らのおかげで、英語での生活にもかなり慣れることができたように思います。
いよいよローカルのカフェでの仕事探し
語学学校期間中は日本食レストランでアルバイトをしていました。バイトを始めた時期はシェアハウスを始めたのと同じくらいなので渡航して2ヶ月目くらいだったと思います。
最初は週3回程度でしたが、慣れてきてからは週5-6回入っていました。日本食レストランでは英語を話す機会がほとんどないと言われがちですが、私はキッチンメンバーと会話する機会の多いポジションだったため、英語も比較的よく使っていたと思います。
※オーストラリアでの仕事探しについてはこちらをご参照ください。
それから3ヶ月たち、学校も終わりに近づいたタイミングでいよいよカフェでの仕事探しを始めました。
最低でも2年間はオーストラリアに滞在したいと考えていたこともあり、渡航前は学校が終わったら、セカンドワーキングホリデービザ申請要件を満たすため、ファームで働こうと考えていました。
ただ、コロナ禍で長らく入国制限を行っていたオーストラリアでは観光やホスピタリティの業界で人手が枯渇していたんです。特に田舎の地域では人手不足が深刻で、”オーストラリア北部または遠隔地、超遠隔地における観光業および接客業など”もセカンドワーキングホリデービザ申請要件を満たせる職業として追加されていました。
ビザに関する条件は予告なく変更される可能性がございます。最新情報はオーストラリア移民局のサイトをご参照ください。
どうせ働くなら当然ファームよりもカフェの方が自分にとっては有意義な経験になります。ビザに関する条件はコロコロと変わるため、正直賭けな要素もありました。不安もありましたが、最終的にはホスピタリティ業でのセカンドワーホリビザ取得に挑戦することを決めました。
指定される地域の一つがケアンズだったため、当初の予定を変更し、ケアンズでカフェの求人を探し始めました。仕事を探すうえで主に利用したのはインスタグラムです。シドニーにいるうちから少しずつカフェを探しはじめ、「いいな」と思うお店のインスタに積極的にDMを送っていきました。採用前には、履歴書提出と面談、トライアルがどこのカフェも必要でした。最終的にはケアンズに移動し、3-4件履歴書を配り、そのうち1社からオファーをいただきました。なかにはトライアルまでしたにも関わらず、合否の返答すらこないところもあって.. そういうところは少しイラっとしました(笑) ただ、ここはオーストラリアです。皆さんが仕事探しをするときも、そういうことはあるかと思います。ただあまり気にせず、縁がなかったと思い、前向きに仕事探しすることをお勧めします。
今のカフェはシティの中心地から徒歩で1時間程度..と、かなり地元感溢れる場所にあります。お客様もオーストラリア人の方が中心で、お年寄りの方も多いです。提供してるフードも手軽な焼き菓子くらいでバリスタの仕事に集中できる、私にとっては理想的な環境です。
お店は月曜から日曜の朝6時から13時30分まで営業しています。いかにも朝型のオージーらしさを感じる営業時間ですよね。時給は27.5ドルです。オーストラリアでいうと決して高い時給ではありませんが、普通に生活はできるので、特に不満なく働いています。午後や休みの日は動画をみたり、シティで買い物したり、他のカフェに行ったりとのんびり過ごしています。
リスニング力はかなり鍛えられた
仕事をはじめて、5ヶ月くらい経ちます。今感じているのはリスニング力の伸びです。先述した通り、お客様はほとんどがネイティブです。皆さん、とってもフレンドリーなので、接客しているとよく話しかけられます。飲み終わって「おいしかったよ」と言ってもらったり、ラテアートを喜んでもらったり、インスタでタグ付けしてもらったり.. 嬉しいことも増えました。接客が好きなので、お客様と身近な距離で会話ができたり、常連さんと仲良くなれたりすることはとても嬉しいことです。
ただ、最初は略語やスラングが多かったり、シドニーで暮らしている人たちよりも、イギリス英語よりの英語だったり.. と英語の聞き取りにだいぶ苦労しました(苦笑) おかげで、リスニング力はかなり鍛えられたと思います。最近では業務に関係のある会話と関係のない会話を感覚的に判断できるようになったため、関係のない会話はいい感じに受け流すという技術も身につけました(笑)
仕事の話からは少し離れるのですが、ついこの間、歯医者に行く機会がありました。問診票を書いたり、自分の症状を伝えたり、お医者さんの話を聞いたり.. そんなことが英語でできるのか?と不安がありました。ただ、実際に行ってみると翻訳機も使わず、きちんとコミュニケーションをとることができました。
「あ… 英語力が伸びてるんだな」と実感した瞬間でした。
ワーホリで得たもの
バリスタとして経験を積めていることや英語力が伸びていることはもちろんですが、より大きいのは「自信」や「自己肯定感」が高まった点かなと思います。
私は日本にいたときから、やりたいことは絶対にやる人間だったと思います。ただ、挑戦にはリスクが伴います。不安を払拭するまでの情報収集や、情報収集してから決断まで、それなりに時間がかかっていたと思います。しかし今は、実行に移すまでの時間が何事も短くなったように感じています。
はじめての海外生活、語学学校での英語の勉強、友達作り、仕事探し、引っ越し.. いろんな挑戦を繰り返してきたなかで、知らず知らずのうちに自信がついたのかなと感じています。
さいごに
体験談を読んでいただきありがとうございました。オーストラリアでワーホリ生活を満喫するKiyofumiさんの体験談はいかがでしたでしょうか。
体験談を伺っているなかで
・スタート地点で語学力をきちんと伸ばすことに注力したこと
・年間の大まかなスケジュールを考えて行っていること
・ローカルカフェでバリスタとして経験を積むいう目標を持っていたこと
・コロナ禍で変化の多いさまざまな条件に対し、柔軟に考え判断していること
などが、Kiyofumiさんのワーキングホリデー生活が充実している理由かなと感じました。
2年目、3年目も滞在を検討しているとのことでしたので、今後とも充実した時間を過ごしていただけることを願います。
ワーキングホリデーはとても自由度の高い制度です。勉強も仕事も遊びもなんでも挑戦いただけます。必要な英語力や挑戦してみたいことに最適な都市、予算にあう就学期間など、より具体的にワーホリプランを立てたいと思われた方は、ワールドアベニューの留学カウンセリングをご利用くださいね。カウンセリングは無料です!