2019年3月からオーストラリアのシドニーにあるシドニー工科大学(通称 UTS)での卒業を目指し留学しているYunaさんから体験談をいただきました。Yunaさんは2020年6月にシドニー工科大学(※1)のグローバルスタディーズ学部に進学。2020年春頃から急激な感染拡大をみせた新型コロナウイルスの影響を受けながらも、さまざまな壁を乗り越え、1年次を終了、来年からは2年生に進級予定です。
高校時代の成績は常に底辺、TOEICも200点台、どん底からのスタートだったというYunaさんですが、今では英語だけでなく中国語も日常的に使いこなし、外交官という目標に向かって奮闘する日々を送っています。オーストラリアでの大学進学という人生の大きな選択をしたYunaさんの今に至るまでを赤裸々にお話いただきました。
※1.シドニー工科大学とは
QS世界大学ランキング2021では世界で133位、創立50年未満の大学を対象としたTop50Under50 Rankings2021ではオーストラリア国内第1位にランク。日本の慶應義塾大学や早稲田大学、筑波大学など名実ともに優れた日本の大学よりさらに高い世界的評価を受ける大学の一つです。
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はじまりは「どん底」だった
私が物心ついたときから、すでに両親は海外旅行が大好きでした。「海外旅行」「飛行機」そんなキーワードが飛び交う家庭で育ったからか、高校で英語教師として教鞭を執る父の影響か、将来は航空業界で働くことを夢見ていました。
だから、「大学に進学したら留学しよう」ずっとそう思っていました。
中学までは成績も比較的よく、高校は俗にいう進学校に進みました。しかし、人生の挫折はこの時点で訪れます。急に高くなった周囲のレベルについていけなくなってしまったのです。私の通っていた高校は試験で一定の結果を出せない場合、部活に参加することを許してもらえませんでした。当時の私にとって部活に参加できないことは、とても大きなストレスでした。うまく勉強に集中することもできず、気がつけば勉強も運動も両方が思い通りにいかない負のルーティーンに入っていました。
欠点をとったこともありましたし、進級もギリギリでした。常にイライラしていたからか両親ともうまくいかず、何事に対しても投げやりな自分がいました。なんとか卒業見込はたったものの、早いタイミングで大学進学は諦めてしまいました。
それでも航空業界での就職は諦めきれず「総合職は無理でもキャビンアテンダントなら‥」と藁にもすがる思いで留学制度のある専門学校に進学しました。
半年間のニュージーランド留学
「外資系のキャビンアテンダントになれたら‥」と願い、学校の制度でニュージーランドのハミルトンという都市に約半年間、語学留学しました。ただ、ここでもまだ負の連鎖は続きます。高校できちんと勉強してこなかったため、この時点での英語力はTOEIC240弱。ほぼ話せないレベルで海外生活をスタートしました。当然、周囲とのコミュニケーションがうまくいくはずもありません。ハミルトンという土地柄、日本人は一緒に渡航した同級生以外にいません。言語だけでなく文化も習慣も異なる生活のなかホームシックにかかりました。体調も崩し辛い時期がありました。ホストファミリーに辛いことを上手に伝えることもできませんでした。
高校時代とニュージーランドでの留学、特に前半は本当に辛かったことを忘れられません。
ニュージーランドでの留学生活
人生を諦めきれない!決断した海外大学進学
底辺からスタートしたニュージーランドでの語学留学でしたが、少しずつ友人もでき英語の聞き取りもできるようになっていきました。学校で出会った友だちとカフェでおしゃべりするくらいはできるようになりました。帰国前に受験したTOEICは565点。まだまだ高い点数とは言えませんでしたが、わずか半年での300点アップは、少なからず自信に繋がりました。
同時期に語学学校のアクティビティの一環でハミルトンにあるワイカト大学を見学に行ったことがありました。ハミルトンは田舎でとても自然の綺麗な地域です。そんな自然に調和しつつも、ワイカト大学の建物はとてもモダンで「こんな大学に通いたかったな」と感じさせる雰囲気がありました。今思うとこの頃から海外大学進学という人生の新しい選択肢が自分のなかに芽生えていたんだと思います。
留学から帰国後、いよいよ就職活動が迫ってきます。
専門学校に進学したときは、キャビンアテンダント養成を目的とした学校に通えばキャビンアテンダントになれると思っていました。ただ、実際のところ専門学校卒で大手のエアラインに就職できるのはほんの一握りです。高校3年生のとき、大学を諦めたことで自分の人生の選択肢がグッと狭まる現実を目の当たりにしました。
半年間でのTOEIC300点アップという成功体験を経て少しばかり自信を取り戻しつつあったこと、また、ニュージーランドで見た海外の大学への憧れ、そして目の前にある就職、その後の人生の広がり‥これらを踏まえ「やっぱり大学を諦められない」と考えるようになりました。
正直、海外の大学に行く人たちはものすごいエリートばかりだと思っていました。(実際そういう方も多いと思います)ただ、調べていくと海外の大学は日本と異なり、入学することよりも卒業することに重きを置いており、入学のハードルは決して高くないことを知りました。例えば私が選んだオーストラリアの大学の場合、多くの大学が高卒で一定の成績と英語力があれば入学できます。さらに、出願時点で英語力や成績が足りない場合、附属教育機関で英語の勉強をしたり、基礎教養科目を勉強し、そこで入学規定を満たすことも可能です。
「これなら私でも大学進学できるかもしれない」
そう感じてからは海外大学進学のことを必死に調べました。
「事在人為」-事の成否は人の努力にかかっている
「事在人為」は中国の四字熟語で、ことの成否は人の努力にかかっている、やりたいことがあるなら行動し、努力しないと失敗も成功もない、待っていてもチャンスは降ってこない、そんな意味合いだと思います。私はこの言葉が大好きです。他の誰のものでもない私の人生、やりたいこと・なりたい自分がいるなら挑戦しないと何も始まりません。
国や都市、エージェントのこと、大学や学部、費用のことなどいろいろと調べた上で、両親に「海外の大学にいきたい」と意思を伝えました。
正直、2度目の留学をすることは反対されると思っていました。専門学校を卒業しそのまま就職してほしいと言われると思っていたんです。しかし実際に話をしてみると、両親は思いがけず賛成してくれました。
その時、私の両親は非常勤で働いてはいたものの、すでに定年退職していました。「高校時代の私」をみていた両親にとって海外大学進学にかかる大金をかけるのは相当な覚悟だったと思います。今もその時も、両親には感謝しかありません。
本気で勉強することを知ったファウンデーションコース
オーストラリアでの留学生活は最初からとても楽しいものでした。1度目のニュージーランドでの語学留学と異なり、基礎的な英語力があったこと、そして海外で生活することの厳しさをある程度心得ていたのが功を奏したのだと思います。さらにもうひとつ、英語以外に中国語の基礎を身につけた状態だったこともプラスに働きました。
余談ですが、中国語を好きになったきっかけはジャッキーチェンでした。前回の留学中にホストファミリーと映画鑑賞をしていたときのことです。白人ばかりのなかに一人だけアジア人のジャッキーチェンがいました。若かりし頃のジャッキーチェンはとてもかっこよく、そして面白く、気がつけば彼のことを調べたり、彼が出演している映画やドラマ、コメディ番組なんかを漁って観ていました(笑)もちろん全部中国語でした。そして、専門学校では英語以外に中国語と韓国語の科目があったこともあり、学校の授業とジャッキー効果で中国語力はメキメキ伸びていきました。
話を戻して、オーストラリアに限らず海外の大学には多くの中国人留学生が在籍しています。大学附属語学学校ともなると中国人が9割なんて学校もあるくらいです。私が通っていたUTS College(旧:UTS Insearch)(※2)も9割とは言いませんが多くの中国人留学生が在籍していました。カタコトではありましたが、私が中国語を聞けて話せると知ると彼女たちは中国語で話しかけてきました。「言語」という共通点があったたことで、一気に友だちの和が広がりました。
※2.UTS College(旧:UTS Insearch)とは
シドニー工科大学(通称UTS)の附属教育機関です。UTSに進学するために必要な英語力や基礎教養の習得を目的としたコースを提供しています。詳細はこちらから
高校の成績が足を引っ張りファウンデーションからのスタート‥でもいいことも!
もともと想定していた進学プランは下記のような流れでした。
英語コース→UTS College ディプロマ(※3)→大学学部2年次編入→3年次進級→卒業
しかし、残念ながらディプロマに入るための高校の成績が足りずファウンデーション(※4)からから入ることになりました。結果卒業までの流れは下記のような流れになりました。
英語コース→UTS College ファンデーション →ディプロマ→大学学部2年次編入→3年次進級→卒業
補足:実は途中で学部を変更したため、最終的にはファウンデーション→大学学部1年次進学となりました。
※3.ディプロマとは
広義には高等教育機関より発行される卒業証明書や業績証明書を指します。ここでいうディプロマはシドニー工科大学 本科(1年次)と単位互換可能なコースを意味します。
※4.ファウンデーションとは
日本とオーストラリアとでは教育制度が異なります。オーストラリアでは高校修了までの課程のなかでプレゼンテーションスキルやアカデミックライティング・リーディング(論文の読み書き)などを学びます。またビジネスやIT、エンジニアリングなど一部の専門的な科目の概論や一般教養を履修することもあります。ファウンデーションはこれら不足を補うコースです。ディプロマよりも英語学習要素が多く含まれており、より基礎的な科目を学ぶコースのため、入学規定はディプロマよりも易しく設定されています。
高校時代の自分の不甲斐なさゆえとはいうものの、最初はファウンデーションに通うのはあまり本意ではありませんでした。しかし、ファウンデーションから始めたことでよかったこともありました。
一番大きかったのは、ファウンデーションで受講した”International Perspectives”という授業(国際社会で課題として挙げられている環境保全・保護、貧困や紛争、経済活動におけるさまざまな影響などを学ぶ授業)を受講し、非常に高い興味関心を持てたことです。
海外の大学に進学することを決めた時点ではビジネス系の学部に進もうと考えていました。しかし、ファウンデーションで受講したこの”International Perspectives”のおかげで本当に学びたい学問と出会うことができたのです。
次によかったのは「勉強する」とはどういうことか?を本科に進む前に体験できたことです。
恥ずかしながら、正直高校時代は全く勉強していませんでした。専門学校時代は、勉強というより就活のための講座やトレーニングを受けるような感覚でこちらもあまり「勉強」と呼べるものではありませんでした。またファウンデーションでの勉強は、それまでの語学学校での勉強とは全く違うものでした。特に苦手だった数学や、初めて学んだ “International Perspectives” の勉強は大変でした。ただ、大変さと同時に勉強することの楽しさをきちんと経験できたように思いました。
2020年6月、UTSの本科に進学してからネイティブの生徒のレベルの高さを痛感したこと、またコロナの影響でリモート学習になったことなどを受け、辛い時期が続きました。ただこれらを乗り越えられた一つの理由は、ファウンデーションで「学ぶ」楽しさを知ったことにあると感じています。
オーストラリアでの留学生活
オーストラリアでの大学進学を選択してよかったこと
イギリスやアメリカ、カナダや渡航経験のあるニュージーランドではなく、オーストラリアでの大学進学を選んだポイントは「環境」と「教育制度」にありました。例えば環境面でいうと、日本との時差(1-2時間)、温暖な気候、フレンドリーな国民性などです。教育制度でいうと、大学が3年制である点です。
意外かもしれませんが、時差は重要なポイントでした。
大学進学ともなると長期に渡る海外での生活、言語や文化、習慣の違いに加え、勉強の面でもたくさんの挫折や苦悩があることはたやすく想像できました。最初の留学で辛い思いをしたこともあり、日本の家族や友人に相談できる環境(短い時差)は大切なポイントでした。
「甘えるな!」という声も聞こえてきそうですが(笑)、甘えようが何しようが最後まで走り抜くことが大切です。私にとって、辛いときに自分を真に理解し、日本語で話を聞いてくれる家族の存在は目標達成に不可欠でした。留学生活をスタートしてから約2年たち、思いがけぬパンデミック(コロナ)とも遭遇し、改めて環境面に重点を置いて国選びをしたことは間違っていなかったと感じています。
実際にオーストラリアの大学で勉強していて感じること
私の通うUTSに通う学生は、みんな本当にレベルが高いです。高校を卒業したばかりなのに、国際社会が直面しているさまざまな問題に対し「知っている」だけではなく(それだけでも驚きですが)、自分自身が、周囲の人々が、そして国として社会としてどう考え、対策を講じ、どう動いていくべきかきちんと「意見」を持っています。
大学の授業の前には予習のために信じられない量の論文を読みます。私はそれらを読み込むことすら満足にできていないのに、オーストラリアの生徒たちはもともと持っている知識や情報に加え論文を読み込み、さらにそれらの情報を元に自らの意見や考え、新たな疑問をもち授業に望んできます。ファウンデーションを受講していたときにも感じていたことですが、私は私が日本でやっていた「勉強」が「勉強」ではなかったと再確認しました。
正直、大学の本科が始まったばかりの頃はついていける気がせず、途方にくれました。「無理だ」と諦めそうにもなりました。それまでは辛くてもしんどくても、家族に少し話を聞いてもらえばスッキリしてもう一度頑張ることができました。しかし、高すぎる壁にぶつかり心が折れそうになったのです。
ただ、ここまで来るのは簡単なことではありませんでした。
挫折し努力し、失敗し、それでもあきらめず粘って頑張って掴んだ「今」です。両親もたくさんのお金を私に使ってくれています。目の前にある高い壁をみて心折れそうになるのと同時に、今まで積み重ねてきた過去を振り返り意外にも多くのステップを登ってきた自分に気がつきました。
「幸いにも日本に帰ることはいつでもできる。精一杯やって単位を落としたのなら仕方ない。ひとまず今学期修了まで、できることを頑張ってみよう」
そうやって目の前にある課題を一つずつクリアしていくことに意識を向けたことで、もう一度頑張ることができました。
1年次は努力のかいもあり、想定よりも良い成績で無事終えることができました。コロナの影響で母国に帰った仲のいい留学生の友だちと会えないこと、リモート学習で周囲の学生たちとの交流がないことなどさまざまなストレスがあったなかよく乗り越えたと今は自分で自分を褒めています(笑)。
さいごに
もともとは航空業界での就職を考えていましたが、国際関係学部で勉強するうちに、そして日本を離れ外から日本をみるうちに、日本を軸に世界とつながる仕事をしたい、国際社会が抱える多くの問題解決に少しでも貢献できる存在になりたいと考えるようになりました。
今の目標はまだまだペラペラとは言えない中国語のレベルを上げトリリンガルになること、そして夢はでっかく!将来は外交官になりたいと考えています。
外交官とは、国を代表して外国との交渉や交流を担当する国家公務員のことです。
国内の外務本省に勤務することもあれば、世界各地の大使館や総領事館に勤務することもあり、世界各地のさまざまな拠点で活躍をしています。今まさに私自身が経験していること、そして学んでいることを存分に生かせる仕事だと考えています。在学中にパンデミックが起きたことも今では貴重な経験だったと感じています。
高校3年のときの私には、2020-21年にオーストラリアの大学で2年生になろうとしている自分なんて想像もできませんでした。でも、夢を持ち、真剣に考え、一つずつ階段を登ってきたら今ここに立っています。外交官はとても大きな目標です。もしかしたらまたやりたいことも変わるかもしれません。でもオーストラリアに来たときのように動き出してみなければ何も始まりません。逆に動き出せば形になるものがあります。
海外大学での留学生活は、想像してなかった刺激的な出来事でいっぱいです。楽しい事も、辛い事も、体験したことは全て自分の大きな財産になると思います。もし、この体験談を読んで下さっている方が、海外での大学進学を迷っているようであれば、ぜひ一歩踏み出すことをお勧めします。みなさんが想像している以上に世界は広く、学ぶことは楽しいですよ!