国際協力活動や災害看護にチャレンジしたいと思い、看護留学をされた太一さん。
意を決して退職をし踏み出した留学は、自分の未来を大きく広げてくれた経験となったようです。
1.救急医療からスタートした海外留学
日本での臨床経験が10年以上、また経験された病棟も脳外科、救命センター、外科と看護師としてのキャリアを着実に築いてこられた反保さん。その中でも、もっともやり甲斐を感じたのが、緊迫した状況のなかで様々なケアが要求される救命センターでの救急医療でした。救命センターから異動された後も、ご自身で救急医療について勉強を重ねられ、救命医療の最前線である国際協力活動や災害看護にチャレンジしたいという気持ちが高まり、英語力を含めたコミニュケーション・スキルの不足を補うために留学を決意されました。
「長年勤務した病院を辞めることは決心がいることでしたが、留学するにはギリギリの年齢だったし、日本に残って勉強するにも限界がある。その思いを部長に訴えて辞職しました。そこまで自分の意思を通せたのは、ワールドアベニューのカウンセラーさんと徹底的にプランを練って、留学先でのプランがしっかりしていたからです。」
渡航後は、まずは英語力をアップするために、語学学校で英語力を身につけることに集中。アシスタントナースとして働くための英語力を身に付けるために、並々ならぬ努力を重ねられました。
「オーストラリアに渡ってすぐの頃は、英語が全く話せなかったので、レストランでまともに注文もできないほどでした。それでも、半年を過ぎる位からは、英語を英語で考えているような感覚を覚えることもあり、日本人以外の友人とのコミュニケーションがスムーズに取れるようになっていくにつれて、『あ…、喋れてる…!』という感覚を持てるようになっていきました。その時は本当に嬉しかったです。」
2.インターシップで感じた看護体制の違い
努力の結果、英語の学習も順調に進み、看護インターンシップで働くためのCertificate3コースへ進学。Certificate 3コースでは、課題と実習に四苦八苦しながらも、無事、Certificate3を取得。面接などの手続きを終えた後、アシスタントナースとして、現地病院にて就労されました。
「オーストラリアの病院では、分業が進んでいて、各職種の人がそれぞれの立場から意見を言い合えるとてもいい環境でした。また、看護師の派遣システムがしっかりしていて、急に欠員が出ても、休みだった人が出勤しなければならないという問題もありません。特に記憶に残っているのは、小児科で勤務した時、僕が担当させてもらった患者さんには、障害の為、自ら危険行動をとったり、危険の回避ができないため、側について継続的に観察を行うという看護です。日本では家族に頼るか四肢を抑制させてもらうしかないのですが、身体の拘束をできる限りしないために、看護人員を割くという考え方に感動しました。」
3.実現に近づく夢
日本に帰国後の東日本大震災時には、HuMAと言う災害支援団体の先遣隊看護師として宮城県へ。震災が発生して1週間、またまた混乱している時期だったため、情報を掴みつつ活動拠点を決定するという任務でしたが、被災された方と接し、多くを学ぶことができたと語る反保さん。その際の経験は、今現在の反保さんにとって、なくてはならない経験だったといいます。
反保さんは、その後、公立の看護学校などで災害看護に関する授業にも教員として携わっておられます。
「留学の中でのアシスタントナースとしての経験や震災での活動、また、その後の教員としての活動が『今』と『これから』、新たなことに対し、積極的に取り組む上で、大きな自信に繋がっています。」
4.夢の実現
2012年夏、反保さんは、国際協力活動のパシフィックパートナーシップ(パシフィックパートナーシップとは、環太平洋地域の発展途上国、また医療支援が十分に行き届かない地域を中心に、米軍や日本の自衛隊が主体となり、医療支援を行う会活動)にて、フィリピンでの医療支援活動に参加されました。
パシフィックパートナーシップでは自衛隊や米軍の自衛官はもちろんのこと、NGOメンバーにおいても、国際支援や国際協力活動面において、経験のある方が多く、アメリカ・イギリス・オーストラリア・オランダなどの世界中の人々が参加、年代層も20代から60代と幅広く、共に業務に取り組む中で、非常に刺激を受けられたそうです。
「帰国してから1年、久しぶりの英語のみの環境に、最初数日は緊張し、言葉も思ったように出てきませんでした。しかし、2~3日経つと徐々に勘も戻り、業務の中での英語での会話も自然とこなせるようになりました。オーストラリアの英語はなまっている…などと言う方もいますが、僕は、オーストラリアで学んだ英語、出会った様々な人々のおかげで、アメリカやイギリスなど、どんな国の人の英語も特に抵抗なく聞き取ることができ、非常に助かりました。またオーストラリアでアシスタントナースとして働いていた時に使用していた体温計と同じものを使用していたため、使用方法がスムーズにわかり、小さなことですが、一つ一つの経験が今に繋がっている、と言う感動を覚えました。」
5.広がる可能性
渡航前、1つの病院で経験を積み、安定した時間を過ごされてきた時とは逆に、帰国後、教員活動や国際支援など、様々なことにためらいなくチャレンジされている反保さん。今後の目標は?と伺うと、笑顔で一言、「大学院進学かな」と。
学士を取得されていない反保さんですが、大学院によっては資格と臨床経験、そして、現在の知識をもとに、大学院受験資格を取得することができる仕組みがあり、その仕組みを利用し大学をスキップで大学院へ進学、国際・災害看護学を学び、CNSを取得したいと考えていらっしゃいます。
「でも、実は、大学院への進学といってもまだまだやりたいことがあるので、すぐにはすぐにとは考えていません。JICAや HuMAヘの登録を行い、基盤は日本に置きつつも、今後もより多くの、国際支援活動に参加していきたいという気持ちがあります。
大学院への進学に関しても、パシフィックパートナーシップの活動を通じて、世界各国の医療従事者の方とはもちろん日本の医療従事者の方々ともネットワークを広げた中で、そういった選択肢があると言うことを教えてもらいました。
様々な活動に参加することで、活動の中での経験値を積むことも、国際支援への貢献ももちろんですが、僕自身の可能性もより広がっていると感じています。一度、留学と言う形で踏み出しているので、今は、新しいことに踏み出すことに対してあまり抵抗がありません。変に守るものがなくなって、今をより思い切り頑張れるようになったのかもしれませんね。
失敗がないとは言いませんが、踏み出さずに言い訳をして後悔するよりは、絶対に一歩踏み出して失敗するくらいのほうがいい、そう感じています。」
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